『武器としての「資本論」』からの簾の設置


内側の雰囲気もよくなりました

東京は先週土曜日8月1日にようやく梅雨が明け、今日は本格的な猛暑日となっております。
奥の席が満席だったので、写真の彼は西日を臆することなくラップトップを開いて勉強を始めました。
ちなみに彼はこの4月から高校一年生になった小金井市民ですが気の毒なことにコロナのせいで全部授業はオンラインです。

それを見た私は、去年からの課題だった「簾の設置」を超高速で実行し、ものの30分程度で完了しました。簾はサンドラッグで1,500円くらいでした。

マルクスの資本論の言葉を借りると、私は相対的剰余価値の創出に貢献したんですけれども、私の仕事が発火するのに彼の存在は不可欠です。となると彼もまた、相対的剰余価値を作る労働をしたということになります。ところが、じつは彼がここに来るためには、彼が着ている服の洗濯や、彼の食事を世話した彼の家族の家事労働も考えなければなりません。

こう考えると、私の労働は単に私の金銭的支出(1500円)のみならず、金銭では測ることのできない膨大な人の時間と労力が費やされていることがわかろうというものです。

この話題を深堀したい人は是非とも、まずこのリポートを読んでみるといいと思います。また、参考文献としては、『武器としての資本論』をオススメします。

無料とはいえ、暑すぎるという彼の背中の無言の訴えに耳を傾けることがなぜ必要かが分かる。

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