移動支援の仕事

カキクケコトリ管理人の一人、市原です。

なかなかにこの仕事だけで生活するってのもむずかしい、働かないといけない、かといって、資本主義的な仕事、ネオリベ的な仕事は自己欺瞞で病む恐れがあるので出来ない、それではじめたのが2019年秋からやってるガイドヘルパー(移動支援)の仕事です。

この仕事はいろいろな障がいをお持ちの方に寄り添って、日常生活や社会的な活動が健常者と同じように出来るよう支援するものです。ガイドヘルパーの活動領域は余暇や気晴らしのお手伝いをします。

生活のあらゆる領域で、障害のあるなしに関わりなく、すべての人が人生のよろこび、楽しさを享有することが出来る社会がいい社会ですし、憲法はそうした社会を国が責任を持って国民に保障しているところです。福祉=他の人の権利と考えると分かりやすいですよね。違法不当なことでも無い限り、自分が出来ること、やりたいことは、もちろん他の人だってやっていいしやりたいかも知れない、それを妨げることは許されません。

わたしがこの仕事を始めて得たのは、健常者、定型発達ではない人ならではの「視座」です。この視座、哲学的に言うなら契機とか、地平、この考えるきっかけを、ご利用者様によりそう経験の中で得ることが出来ました。

その結果、当たり障りない範囲でちょっと書きますとすれば、それは現代日本の都市というのは、基本的には次の3つの主体に利するべく作られていると言うことです。

  • 不動産所有者
  • 消費者(金を使う人という意味)
ガイドヘルパーで、郊外を長時間、ゆっくり散歩するとこうしたことが見えてきます。もちろん、公共の場所(駅、公共施設など)では、いろいろな配慮がなされた建築や工夫はあるのです。しかし、住宅地や幹線道路沿いに、私たちが安心して時間を過ごせる場所はありません。

無論、カキクケコトリに類する場所なんてものは、見たことがありません。

そして、じつは、障害のある人はもとより、健常者でさえ、不動産も持っていない、車も持っていない、金もない私たちは都市の大部分から締め出されていることが分かります。

疎外されているというふうにいえます。

人間というのは、大部分が水分です。絶えず新鮮なものを外部から取り入れて、古いものは排出します。つまりトイレとか、きれいな水のみ場がいつでも快適に使えないともうダメです。

実際どうなっているでしょうか。ホッそい住宅地の道路(しかも車は通る)に沿って、膨大な数の個人住宅が並んでいる(これまたちいさい)。無料で使える水もトイレもありゃしません。唯一救いなのは、コンビニなんですけれども、コンビニがあるからじゃあ良かった、でいいのでは決してそれは違う。アレはアレでとんでもない搾取や食品ロスで、ヤバい負荷を外部に押しつけるいわゆる「資本主義的強奪システム」であり、およそ持続不可能なものです。コンビニのトイレがあるから、いいね、ではないのです。コンビニにしかトイレがないってのはどうなんだ、というのが私の言いたいことです。

さらに、わたしが、ご利用者様と一緒に町を歩くと、やはり当然のことながら「視線」というのを感じます。直接的な声をかけられることもあるのです。もちろん、不当で反倫理的なことを言われたらただちに私はしかるべき対応はさせてはいただくのですが、直接的なフィードバックがないにしても、とにかく健常者の人たち、町を行く人たちがあまりにも「せわしない」そういうふうに見えてきます(犬の散歩をしている人ですらスマホの通知に気を取られている始末)。

何かとても焦って、前のめりになって、競争に没頭しているというふうにしか見えません。ルールが私たちと違うから当たり前かも知れませんけど、私はそういう町からの無言のフィードバックに、この資本主義の悪の本質が隠しようもなく現れていると思うのです。

資本主義の悪の本質については、カキクケコトリに置いてあるあらゆる本がだいたいにおいて言及しているところですから、ぜひ皆さんも、お越しいただき、本を手に取って、いま私たちがいったいどこにいるのか。わたしがこの仕事から得た視座、これは読書によって、一端でも享有していただくことが出来るものですから、どうぞよろしくお願いします。

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